taizooo の2025年のベストから
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2025年を探す - copy and destroy
2025年を探さないで
https://gyazo.com/407361b58d073c72d12470c2a96b4d41
関連するページ
宿題を解いている。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/12/03/221516
いつもなら一度ベストを書くともう二度と読むものか、とか思うんだけど、今年は違った。
宿題:
鉄鼠の檻
十牛図
鉄鼠
禅の歴史
坐禅、大悟、魔境について
科学、怪異、宗教、哲学
共産党宣言冒頭に現れる、幽霊、ゴブリン、悪霊
禅と言葉
『鉄鼠の檻』解説 「宗教体験は人を殺すか」
怨霊と鎮魂
音楽の三つの異なる記憶
引用
2025年を探す - copy and destroy
長い長い引用の果てに、『鉄鼠の檻』を切り分けた二つの相、牛と鼠がようやく姿を現しました。
牛(矛盾律)
それは空。手段と目的は一体。相分かつことができない。なにかを達成しようとすることと、このありふれた毎日も相分かつことができない。このことは僕らの「知る」という振る舞いが、自己の認識や探求ではなく無数の GPU による膨大なベクトル演算に左右されるようになりつつあるいま、当にこの瞬間、特別な意味を持ちます。〈判ること〉と〈判らないこと〉は呼吸と同じく、一つの事象の表と裏にすぎません。
( 吸って吸って / 吐いて吐いて / 日は昇り降り / 折り返し地点 ) https://ja.wikipedia.org/wiki/今夜はブギー・バック
我々は電子回路でもなく、半導体素子でもなく、蒸気機関でもなく、需要と供給の交点でもなく、シナプスの発火でもなく、ミトコンドリアの化学反応でもなく、デオキシリボ核酸の方舟でもない。ただ一個の精神、かつ、ただ一個の身体である。修証一等。
「我なくして世界はあらず、同時に、我なくしても世界はあり」 禅と言葉#69391d510000000000fae586
code:Law of contradiction
¬(P∧¬P)
「ある事物について同じ観点でかつ同時に、それを肯定し、かつ、それを否定することはできない https://ja.wikipedia.org/wiki/無矛盾律
鼠(排中律)
それは怪。〈判らないもの〉が世界には存在する。〈判るもの〉と〈判らないもの〉が〈判る〉ということ。これは科学においても哲学においても重要な意味を持ちます。〈判る〉ことを司るのが理性、知性、悟性であるならば、〈判らない〉ことを司るのが怪異、妖怪、怨霊。両者はお互いを補完する位置にある。死は現世〈判るもの〉と他界〈判らないもの〉を繋ぐ入口であり、怪異は他界が存在することを表象する。その根本は言葉であり言語。この世界は事実から成る。事実は分節化されていなければならない。
( キンセンカは、鮮やかなオレンジ色をしているのと同時に、2インチくらいの大きさで、11の花弁をもっている。キンセンカはそれらの全体を同時に持っている ) 言語はなぜ哲学の問題になるのか パート B 読解#692926520000000000bab2e0
であるならば言語も分節化されていなければならない。
( 「あるキンセンカが存在し、オレンジ色であり、かつ、2インチくらいの大きさで、かつ、11の花弁をもつ」 ) 言語はなぜ哲学の問題になるのか パート B 読解#692926520000000000bab2e0
言語だけが可能性を開くのだ。だがしかし世界や感情のほとんどは「フォヌカポウ」、「亜qw瀬drftgyふじこ」、言葉にならない。ならないのである。不立文字。
「境界ははっきりと引かれなければならない」https://note.com/dannna_o/n/n6ff89d332db9
code:Law of excluded middle
P∨¬P
任意の命題 P に対し「 P である、か、または、 P でない」という命題は常に成り立つ https://ja.wikipedia.org/wiki/排中律
矛盾律と排中律、そしてもう一つ、同一律
同一律
これを自分のベストで取り上げたかったけれど、うまいく当て込めなかった。
それが、nagata サンのベストの中にあった
「述語ハ主語ニ内在スル」
「述語ハ主語ニ内在スル」(道徳哲学史講義の積読山脈) - copy and destroy
『道徳哲学史講義』ライプニッツ講義 1 第5節「ライプニッツの真理観に関するコメント」 神にとって、はっきり見えないものはない。わたしたちの世界がこの条件を満たしているということは、(あきらかに他の信仰と同様に)キリスト教信仰の一部である。それはまた、観念論・理想主義のテーゼでもある https://x.com/taizooo/status/1905105256377409893
充足理由律によれば、世界は徹頭徹尾理解可能でなければならない。もとより、わたしたちが理解できないとしても、完全かつ無限な知性には理解可能でなければならないのである https://x.com/taizooo/status/1905106038564753626
「述語ハ主語ニ内在スル」 (ライプニッツにおける真理の主語内述語説) https://x.com/taizooo/status/1905108472183816391
ライプニッツ『形而上学叙説』第13節 より
《各人の個体概念は、その人にいつか生じることのすべてを一遍に含んでいるので、その概念を見れば、それぞれの出来事についての真理のア・プリオリな証明もしくは理由、つまりなぜ他ならぬこのことが生じたのかということがわかる。しかしこの真理は、どれほど確実であっても偶然的であることに変わりはない。それは神もしくは被造物の自由意志に基礎付けられているからである。神であれ被造物であれ、その選択には常に理由があるが、その理由は傾かせるが強いることのないものである。》
「私は私」
谷川俊太郎『私』「私は私」より
「私は私」というトートロジーを超えて
私は私です
https://tadanoniku.blogspot.com/2025/12/1039.html
この詩のように人間の知覚する現実は、単線的な同一律「A=A」を超出し、絶えずはみ出したり重なり合ったりしながらぐじゃぐじゃ構築されているものではないか。わたしたちは複雑にひしめき合う共鳴体として生きている。
安部公房『死に急ぐ鯨たち』(新潮文庫、養老孟司による「解説」より)
“動物の行動は、「閉じたループ」を作る。つまり特定の入力があると、特定の出力が生じる。したがって、入力から出力までの「ループ」には、どこにも抜け穴がない。ところが人間では、そのループが「開いて」しまう。すなわち言語という形で、ゆえにまたその結果として、個々別々に、ループが開いてしまうのである。これは卓見である。”
https://tadanoniku.blogspot.com/2025/12/1039.html
たぶんこのループの開かれが過剰になると、統合失調症のような症状を呈してしまう。だから「私は私」という閉じた同一律も重要になる。かといって閉じてばかりでも身動きがとれない。多くの人々は無意識にそこそこ開いたり閉じたりパカパカしながら日々を過ごしているのであろう。それぞれの加減で。
「存在が花する」
井筒俊彦
「存在が花する」
小野純一『井筒俊彦 世界と対話する哲学』より
存在」が主語、すなわち動作主であり、他の全ての個物をその動的な現れ(属性)で示す。なぜなら、現実は絶え間なく移りゆく動的な出来事であるからだ。
https://tadanoniku.blogspot.com/2025/12/1039.html
「存在が花する」はありとあらゆるものが存在する不定形の世界に生じた、ひとつの兆しとしての花のありようを表現している。初めて出会うような、存在の兆候としての花。対して「花が存在する」は図式的というか、先入観にもとづく限局した見方といえる。知っている、思い込んでいる、ことばとしての花を指している。
その後について
1)
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/12/10/111418
いつもはその年のベストを書くと、もう一切その文章は読まないっていうか読みたくないんだけど、今年はいつもと全然違う書き方というか、「ベスト」の切り取り方がいつもとは全然違っていて、そのせいか、やたらとあの「ベスト」に関わるものを書き連ねている。書き連ねているというか写経している。
ほぼほぼ書き尽くしたと思っていたんだけど、そう思うたびになにかを思い出す。思い出すので終わらない。たぶんこれはしばらく続く。そうすることに飽きてしまうまで。
2)
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/12/09/104231
判ることと判らないことが判るようになると、簡単には文章を切り取ることができなくなってて、丸ごと書き写すしかなくなったりしてて、全文引用とか下の下だと思ってたんだけど、いまはその気持ちがよくわかる。
3)
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/12/10/215441
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/12/10/111418
今日の 竹内いつか サンは今年のベストで、
「いろいろあったのだけれど、どれもベストではない。マストだ」 竹内いつか ブログ: にんじゃ丸
と言って、一大事であっただろう出来事をバサッと切り捨てたうえで、「どう考えても私の『ベスト』はこれだ」、高らかに宣言していたけれど、
振り返ると僕も今回のベストで、
潜るべき過去ベストは存在しない。存在しない?だがしかし、辿るべき過去ベストなんて無限にある。うーん、というか飽きた。飽きた?
そして、
そのことについては書くことがない。書くことがない?うーん、書きたくない?たぶんそうなのだ。書きたくない。
と言っていて、
たぶん僕のそれも、書こうとして書けなかったどれもが「ベストではなくただのマスト」で、そのようにしか書けなかったそれが、結果的にはやっぱりベストだったのだろう。
4)
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2025/12/10/215441
私たちは変化の渦中にいて、自分自身がその変化の真っ只中にいることを知ることができない。
例えるなら真冬から少しだけ春に近づいた日々に木々の色合いがわずかに変化する様子をその日一日だけで見極めることが出来ない 2018年を探す - copy and destroy
そんなことを、傍観者としてではなく当事者として、ちょっとずつ認識しつつある。いま当にその中にいる。言葉が足りなくてうまく書けそうもないし、これがどういったものなのか、いったいどこにつながっているのか、まったく見当もつかないけれど。
その始まりはいま見直すと昨年書いた『2024年を探す』の中にも垣間見えるし、
今年の『2025年を探す』でそのようにしか書けなかったそれが、 hysysk サンのベストを見た辺りで「アレ?」と思い、 nagata サンのベストで芯に喰らって、そして一苦労して復元した youpy のネットプリントの中にも驚いたことにそれはあった。
suyhnc のベストの中にもあったかもしれない
5)
「垣間見えたもの」のうちの一つは
西洋から東洋への視座の転換、とかいうか、
とかいう、そんなよくわからない比喩、というよりは、
世界(実在するのかどうなのかよくわからない海の彼方の何処か)から、身の回りの半径2mの生活しているその足元への視点への転換
これは音楽で体験した、ポップミュージックからクラシカルミュージックへの視座の転換に匹敵するくらい大きい
6)
quoposk サンのベストにもあった
境界、あわい